〜3月3日ひな祭りの始まりと右近橘、左近桜の意味〜
2021/03/03
3月3日ひな祭りの始まりの起源と右近橘、左近桜の意味
3月3日が桃の節句なわけ
〜3月3日がひな祭りとなった始まり〜
〜右近の橘、左近の桜の意味〜
古事記では、神世七代といわれている男女神の一番はじめの神様。
『ウヒチニ、スヒチニ』様の馴れ初めによって始まりました。
二人は、幼き頃、木の実を持ち寄り仲良く庭に植えました。
3年経った3月3日に、その木は花と実が百を数えるほど実り、"百の花"と名づけました。
二人の名も、『モモヒナキ、モモヒナミ』と名づけられました。
『ヒナ』(雛)というのは、『ヒト』(成人)となる前のことをいい、
ひ・ふ・み・よ・い・む・な・や・こ・と
つまり、1(ひ)〜7(な)未熟者、1(ひ)〜10(と)成人
という意味です。
『キ』(男)『ミ』(女)『キミ』(君)は木の実
を語源とするもので、
男性が『木』女性が『実』と名づけられたことに因みます。
二人が、成人となった3月3日、初めて神酒が献上され、桃の木の下で神酒を酌み交わし、名前も『ウヒチニ、スヒチニ』となりました。
男性のウヒチニ様は、冠と袴、女性のスヒチニ様は小袖と上被衣を身に付けていたその姿(雛人形の姿)ら、大小を意味する『ウス』という言葉もできたそうです。
これが、結婚の制度が一般に普及してゆく由来になったと言われています。
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さて、ひな祭りの始まりは、分かりましたが
お雛様の隣、右側には橘、左側には桜が飾られてますよね。
ウヒチニ、スヒチニの時代より下って、
アマテラスオオミカミの時代、
ウチミヤ(今でいう皇居)に、橘と桜が植えられ、
橘は、国内の政の是非、
桜は夫婦の良し悪しを映すモノザネ、
つまりは占のような意味合いとして
植えられいたのが今では、
右近の橘、左近の桜といった形になったのか?
ただ、紫宸殿の右近の橘左近の桜は平安末期に出来、桜はもとは梅の樹で桓武天皇の平安京遷都のときに植えられたが、承和年間(834年-847年)に枯死したため、仁明天皇のときに梅の代わりに桜を植えたとあります。
梅が弱かった為に桜に変えたのか?嵯峨天皇の中国好みで梅が尊重されていたのを、仁明天皇の御代になって、国風文化が見直される中、梅より桜がふさわしいと変えたのか?は、分かりませんが、桜と橘は古来より繋がる縁を持っています(のちのちに説明。
お雛様の由来の説明でした。
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