和歌山 道成寺に秘められた奈良の歴史
2019/05/10
和歌山 道成寺に秘められた奈良の歴史
奈良の歴史の要。
先週5月3日に興福寺にて藤原不比等没後1300年忌法要が行われましたが、現在奈良市の観光を担うは藤原不比等ありきではないでしょうか。
昨日は、定休日だったので和歌山に遊びに行きました。
主人があんたのホームグランド道成寺に行ってみないか?と言うので…
私のホームグランドとは、安珍・清姫の清姫を指しています…σ^_^;
まあ、確かに安珍の様??に主人はいい男なんですが…
いやいや、道成寺伝説は確かに安珍清姫の悲恋の物語で有名なのですが、
私はもう一つの伝説を確かめたく、伺いました。
それは宮子伝説。又は髪長姫伝説。
道成寺建立のきっかけとなった宮子伝説。宮子伝説が無ければ今の栄えた奈良は無かったとさえ思えます。
伝説によれば、宮子の両親は道成寺がある御坊市の海女をしていました。
夫婦には子どもが無く、授かるように八幡様に祈願したところ、宮子が生まれました。それが為、宮子と言う名がつけられてました。しかし、宮子は成長しても髪が伸びませんでした。
嘆く夫婦。ある日母が海に潜ると輝く物体を見つけ、拾ってみると観音像でした。母は毎日観音像にお願いすると、宮子の髪が美しく生えてきました。
その長い美しい髪を見て、里の人々は宮子を髪長姫と呼びました。
ある日、ツバメが宮子の髪を一本加えて飛び去り、それが、藤原不比等のもとへ届きました。
美しい髪を見た不比等、その髪の者を養女にする。
ということで、宮子は藤原不比等の養女となり、文武天皇の皇后となりました。
そして、東大寺を建立した聖武天皇をお産みになりました。
その聖武天皇は藤原不比等と橘三千代の間に生まれた光明子(光明皇后)と結婚しました。
宮子無くしてはその後、辛巳事件から長屋王の乱に至っても語れない。
道成寺は、両親を思い、観音像、千手観音像をお祀りするために、宮子が文武天皇に頼んで建立したものとされています。
嘘か誠か、道成寺は歴史上無くてはならない伝説が眠っている。